鉄道が拓くマカオの未来
- 2013/2/18 14:27
- 特集
マカオ市内交通史
マカオの公共交通の歴史は約1世紀。大量輸送機関として路線バスがサービスを開始したのは1919年のこと。この頃のバスは「自由車」と呼ばれ、貨物自動車に簡易座席と屋根を取り付けた簡素なものだったという。その後、1925年頃から本格的な路線バスの基礎となる「街坊車」が登場し、当時マカオの玄関口だった内港(現在のポンテ16周辺)を中心に、媽閣廟、關閘への2路線で運行をスタートした。自家用車の普及が遅れていたマカオでは街坊車が市民に受け入れられ、一気に路線網を拡大した。
マカオの市内交通は主にマカオ半島内で発展し、タイパ島、コロアン島の各離島への交通手段は連絡船だった。1975年に嘉樂庇總督大橋(マカオ・タイパ大橋)が開通し、マカオ半島とタイパ島、コロアン島の離島が陸路で結ばれて以降、現在のバスルートの原型が出来上がったと言われる。マカオ半島とコロアン島を結ぶ路線ではレジャー路線として人気が高く、1975~88年の間には英国製ダブルデッカーバスも導入されていたという。
現在、主にフェリーターミナルやボーダーゲート(關閘)とカジノリゾートホテルの間を結ぶ無料シャトルバス(通称:發財車)が観光客の移動の足として多く利用されている。実は「發財車」の歴史は浅く、サンズマカオが2004年の開業とともに運行を開始したのが本格普及のきっかけといわれる。以後、各カジノリゾートが競い合うようにサービスを拡充し、既存の路線バスを凌ぐ運行頻度、本数を誇る規模にまで成長。
マカオでは、長く路線バス、カジノにより運行されるシャトルバス(通称:發財車)が市民及び観光客の大量輸送の足として活躍してきた。